リフォーム部門の
サブブランド
才津政男商店の
給湯器のタマオ
history



「給湯器のタマオ」は、才津政男が創業した株式会社才津政男商店のリフォーム部門のサブブランドです。
私たちは、長年ガス事業を手がける中で、給湯器の販売・設置には強みがあることを実感していました。特に、五島では給湯器の販売実績が圧倒的に多く、自社で施工することで価格も抑えられ、お客様に喜ばれてきました。その成功モデルを、長崎でも展開したいという思いがありました。
また、今までお付き合いのあった小さなガス屋さんが会社をたたむので引き取って欲しいということもあり、グループに加わってもらい、給湯器事業を始めるきっかけになりました。リフォームの事業と給湯器の事業をそれぞれ特化することで、より良いサービスを提供できると考え、給湯器に特化した専門ブランドとして 「給湯器のタマオ」 を立ち上げました。
お客様の声から始まった
新事業
当時長崎では、給湯器を専門的に扱う業者が少なく、メーカーの修理対応も手薄な状況でした。また、お客様から「給湯器にすぐ対応できる業者がいない」というお声もいただいておりました。また、時津でもエコキュートの需要が高まっており、これを機に給湯器専門ブランドを立ち上げるべきだと考えました。
「給湯器事業をスタートさせてお客様のお困りごとにお応えしよう!」そういう想いで給湯器事業をスタートさせました。
タマオってどんな会社?
タマオの成り立ち
創業者才津政男が生まれ育った才津家は、戦前、五島で20〜30人を雇用する大規模な仕立て屋を営んでいました。しかし、五島には当時、日本軍の基地があったため、米国による激しい空襲を受け、町は焼け野原となりました。
戦後、戦地から帰ってきた政男は、生計を立てるため、仕立て屋の技術を活かし、嫁入り道具として必需品だったミシンの販売を始めました。当時の衣類は現在のように使い捨てではなく、傷めば自分で直して再利用したり、リメイクして使われていました。政男は若い女性向けにミシン教室を開き、その教室をミシン販売の場としても活用しました。
戦後、五島にもしばらく米軍が駐留していました。政男は、その米軍が使用していたプロパンガスに着目し、「これはミシンと同じように、女性の暮らしをより便利で豊かにするものだ‼」と気づき、長崎でいち早くプロパンガスの販売事業に進出することになりました。
やがて、二代目琳央が入社し、プロパンガス事業だけでなくさらに事業を拡大させました。高度成長期に大量の住宅が建設されるようになると、大工や左官と連携し、住宅設備機器の大量販売・設置を展開しました。これにより、新築住宅へのプロパンガス供給へとつなげ、会社は大きく成長しました。三代目政喜が修行を終えて戻る頃には、才津政男商店は五島でトップクラスのプロパンガスおよび住設機器販売会社へと成長していました。
しかし、バブル崩壊後、五島も不景気の影響を受け、会社の業績が悪化。立て直しを図るため、三代目政喜が経営に加わりました。業績の回復後、五島市の人口減少に対応するため、新たにキッチン・お風呂などの水まわりリフォーム事業を立ち上げました。二代目琳央の時から、設備交換依頼はありましたが、本格的に自社職人を育成し、自社施工によるリフォーム事業を開始しました。
政喜は五島での水まわりリフォーム事業の拡大を目指しましたが、五島の人口減少が加速し、このままでは会社の存続が危ういと判断。社員の生活を守るため、競争力のある水まわりリフォームを武器に、長崎本土への進出を決断しました。
長崎では「リフォームのタマオ」という屋号(ブランド)で出店し、「外壁塗装のタマオ」「給湯器のタマオ」というサービスブランドを展開。こうして、才津政男商店はさらなる発展へと歩みを進めています。



才津政男商店とタマオの由来
「株式会社才津政男商店」は、創業者才津政男の名前を社名にしています。かつてはこのような社名が多くありましたが、会社の責任を自ら背負うという姿勢を大切にしています。
創業者政男は、戦争と1962年の福江大火で二度もすべてを失いました。それでも何度もゼロから立ち上がり、事業を再建しています。「社名が古いので変えたほうがよいのでは?」と言われることもありますが、私(三代目政喜)は、困難にも立ち向かい、あきらめなかった政男を尊敬しており、社名を変えるつもりはありません。
また、実際に事業を拡大し、私(三代目政喜)に会社を引き継がせてくれたのは、二代目琳央です。その琳央の名前を残し、五島から長崎へと進出した当社が、この地に根付く覚悟を示すために「リフォームのタマオ」という屋号・ブランド名を採用し、ロゴとキャラクターを「タマちゃん」としました。
長崎には五島(福江島)出身の方々が多く住んでおり、「あの顔と名前は…!」と懐かしさを感じて来店してくださることもあります。
才津政男商店の
歴史
才津政男商店は1949年(昭和24年)に生まれました。
戦前の仕立て屋からはじまり、ミシン販売店、プロパンガスの販売、リフォーム事業と、
時代の流れに合わせて柔軟に変化しながら、多くの方々に愛されてきました。
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19??年
(戦前)戦前は仕立て屋。
先代である才津政男よりも前の代から家業として始めていた。政男の父政太郎よりも前のことなので何年に始まったかは定かではない。
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1949年
(昭和24年)才津政男商店(brotherミシン店)を創業。
当時ミシンは嫁入り道具だった。ミシンの販売と共にミシン教室を開き、嫁入り前の女の子達に教えていた。
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195?年
プロパンガス販売事業をスタート。
米軍がプロパンガスを使っているのを見て、「これから普及するものだ」と確信。交通手段がなかったため、リアカーで歩いてボンベを運び、販売していた。
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1958年
「才津政男商店」を合資会社として法人化。
才津政男商店の本店を長崎県五島市に設立。
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1962年
「福江大火」が発生。
同時期9月26日に長崎県内で戦後最大の火災、「福江大火」が発生。この火災で市街地が焼き尽くされ、約600戸を焼失。辺り一帯が焼け野原となった。
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1977年
エレベーター付き3階建て店舗兼自宅を建設。
長崎県五島市で初めてのエレベーター付き3階建て店舗兼自宅を建設(現在の本社)。1階は事務所、2階はショールーム、3階に自宅を設けた。ショールームには、お風呂(浴槽)やキッチンなどの商品を並べていた。
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1994年
お客様が気軽に見て体感できるよう1階ショールームを改装。
五島市中央店(現在の本店)を初めて改装。お客様が気軽に見て体感できるよう1階ショールームを改装。また、集金に来るお客様のために、ハンカチや食器などのギフト・雑貨販売も開始。再び賑わいを見せた。
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1999年
五島市籠淵町に新しい事務所をオープン。
2代目琳央の代でプロパンガスの需要が高まるとともに、スタッフの人数も倍に増加。それに伴い、もともとガスの充填所だった場所を事務所へと改装し、会社の拡大に対応。
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2002年
才津政喜(現在の社長)が社員として入社。
才津政喜(現在の社長)が修行から戻り、才津政男商店の社員として入社。バブル崩壊の影響により会社の業績は不安定に。会社を支えるため、政喜は精一杯働いた。
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2005年
合資会社から株式会社へと変更。
才津政喜(現在の社長)が専務に就任。合資会社から株式会社へと変更。リフォーム事業を本格スタート。苦しい業績から一変、安定した会社へと持ち直すことに成功。
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2010年
五島市中央店(現在の本店)2回目の改装。
メーカーのショールームのように、水まわり設備をたくさん設置し、お客様に見て触って体感できる空間を作りだした。
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2014年
リフォームのタマオ時津店をオープン。
五島市から本土へ進出するため、長崎市時津町にリフォームのタマオ時津店をオープン。ポスティングやチラシの効果で多くのお客様にご支持いただき、お問合せはこれまで3倍に。
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2017年
リフォームのタマオ諫早店をオープン。
お客様のお問合せは止まらず、要望に応えるため、長崎市諫早にリフォームのタマオ諫早店をオープン。スタッフの人数も増加し、着々と体制が整ってきた。
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2018年
外壁塗装のタマオをスタート。
水まわりリフォーム以外の外壁や屋根のリフォームの要望に応えるため、外壁塗装のタマオをスタート。外壁塗装事業にも対応できるよう、専用サイトもオープン。
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2021年
才津政男商店長崎店をオープン。
才津政男商店長崎店をオープン。地元で取引をしていた企業をグループに加え、長崎でのガス部門をスタート。
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2023年
給湯器専門ブランド「給湯器のタマオ」を立ち上げる。
給湯器、特にエコキュートの需要が高まる中、給湯器専門ブランド「給湯器のタマオ」を立ち上げる。給湯器取替の知識と経験を持つ職人が活躍できる場を広げ、さらなるサービス向上のため、事業を展開。